ふぉーりん・あとにー氏へ通りすがりより

あなたこそ、途上国の貧困を慮るのは自身の視点を上位に置く為の張子の虎で、弾氏の言説を比較優位を保てなくなるだけだと決め付けて恐怖に怯えてるのでは? センを引用している相手に、途上国の貧困への考慮を促しているが、以前のエントリで経済学の教科書嫁とか見下しておいてそれは…… 自分には弾氏のレトリックを読み解くリテラシーが不足とか韜晦を気取ってるけど、失礼ながら、ただ単に本当に読み取れてないではないでしょうか。

    • Posted by 通りすがり : 2006年11月14日 12:55


通りすがりです。ただの通りすがりのコメントに、思わぬ長文でコメントを頂いてしまったので、書かせてしまったからには、こちらも責任を取らないといけないと思いキーボードを叩いてみました。ですがコメント欄では収まりそうもないのでblogにしました。


まず、比較優位を保てなくなる決め付けと言ったのは、( 飛べ!日本経済〜成長会計で考える@ハリ・セルダンになりたくて)の飛べ!日本経済のパラグラフのような、国際競争力維持は国是だ!的価値観に弾氏が”対立”する価値観の持ち主である事を決め付けて、それに怯えているのではないのですか?と言う事です。弾氏の元のエントリーは、「景気拡大を目指す社会から、景気に左右されない社会」とまで言っているある種の社会主義の新形態?と受け止めても別に不思議でないような、あまりにも壮大過ぎて(今の経済学的視点からは量るような性質ではない)漠然とした思いつきの一つとかそんなものだと思います。その中で出てきた「経済成長を追っているうちはまだ日本は中二病なのだと。」と言う言葉を、上のエントリでは、世界の他の国と比較して努力をやめようと言う志向を目指している意味の危険思想だ!と勝手に推測して解釈しているようですが、それに類した思考かなと思ったのでそう書きました。と言っても、その経済成長の意味そのものが問題になっている状況なので、それがうまく伝わらない訳ですが。そして、その構想か妄想かの中にあった弾氏の一言が、経済成長に関しての一連の流れを作り、経済学を学んだものから見れば明らかな誤用だと言う事を非難する、経済成長と言う言葉の使い方論に摩り替わっていますよね。弾氏の主張の真意から外れて経済成長の意味論に持って行った官僚氏の得意な弄り方に旨く嵌められた弾氏が、自身の経済観について語らざるを得ない状況になっていますよね。その一連の中で、47th氏は

でも、途上国の貧困と自分たちを結ぶ線の存在への無関心こそが、今なお世界中に蔓延する貧困の前に立ちはだかっている壁だと考え、その無関心をどうにかしたいと願う人間にとっては、やはり見過ごすことはできないのだと思います。

と言う疑問を提示されました。また、
山形氏:

アメリカやアジア、各種発展途上国もある。ぼくたちが経済成長すれば、そうした国々の商品を買って、その国々の経済成長――つまりはかれらの生活水準の向上――を助けることになる。

bewaad氏:

実は私は通りすがりさん*1がご賢察のとおり、怒りをもってエントリを書きました。というのも、実際に経済成長が十分に図られていないがゆえに苦しんでいる人が多くいるわけです。

と、弾氏を批判しておられる方は揃って口にしておられるので、経済成長と言う指標を大事なものだと言う事の一つの理由として、生活水準の向上や苦しんでいる人が救われる事に繋がるからだと言う、利他的側面の肯定のためと言っておられます。そして、それ故に弾氏の経済成長の使用法は許されないと言う認識でよいのですよね?それを踏まえた上で、ここで大きな疑問があります。

(※3)ちなみに、その無関心に対して、もっとも長く激しく戦ってきた人の一人こそ、弾氏が同一エントリーで文脈こそ違えWikiからその説を引用したアマルティア・センです。

とおっしゃってますが、弾氏はまさにそれを認識しているからこそ、このエントリでアマルティア・センの「貧困の克服」をリンクしてると言う解釈は考えられないでしょうか?弾さんの仰る「もう我々のパイは十分だから、我々の中での分け方を考えるべきだ」の「我々の中での」と言う発言は404 Blog Not Foundのどこにあるのでしょう?「経済成長は手段か目的か?」のエントリを貧困の克服を意識している前提で読めば最低でも、途上国でパイを拡げるために、先進国ではそのパイの余剰分を途上国に回すと言う選択を否定してはいない程度の解釈をする方がずっと自然なのではないのかと思います。もっと積極的にあってもいいのではないかと暗示していると理解をしても何の問題もなく読めると思いますが(そろそろ我々の社会はセンの主張に目を向けるべきではないのですかと言う意味)そこまでは弾氏本人でないので量りかねますが。無意識にわら人形論法(Strawman)を使っていませんか?まさか、アフェリエイトの為の引用に見えていたりしていますか?そうなると、コメントで指摘した通り、文章から意図を読み取る時に弾氏の意図から真逆に恣意的、それもかなり悪質に解釈しているのではないのかとすら思わざるを得ません。ですが、この2つのエントリを並べて見ている限りお二人の価値観の中に、47th氏が抱いているほど大きな亀裂があるようには見えないのですが。


「Amartiya」(@404 Blog Not Found 2006/02/13)


「開発」(あるいは「発展」)って何だろう? (1) (@ふぉーりん・あとにーの憂鬱 2006/01/28)


弾氏がリンクしている、「人間の安全保障」でセンが17条憲法の第十条について言及しています。
「人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るところあり。彼是とすれば、則ちわれは非とす。われ是とすれば、則ち彼は非とす」(「人間の安全保障」アマルティア・センp86 )
この第十条の全文は、こうなっています。

十七条憲法 第10条:
 十に曰く、こころのいかりを絶ち、おもてのいかりを棄てて、人の違うことを怒らざれ。
人みな心あり。心おのおの執るところあり。
かれ是とすれば、われは非とす。われ是とすれば、かれは非とす。
われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。
是非の理、たれかよく定むべけんや。あいともの賢愚なること、みみがねの端なきがごとし。
ここをもって、かの人はいかるといえども、かえってわがあやまちを恐れよ。
われひとり得たりといえども、衆に従いておなじくおこなえ。

アマルティア・センが引用されたのと同じエントリーで、経済学的に正しい用法を使わなかった事を錦の御旗に、strawmanで弾氏の人格を貶すような行為をしているのを知ったら、センはどんな気分になるんでしょう?と言う言い回しはちょっと皮肉が過ぎるでしょうか? と、通りすがりの返信?にしては長くなってしまいましたが、

「ブログはサービス業でござい」というレベルまでいくとつまらなくなりますが、読者に不快感を与えない技術もある程度必要でしょう。「辛口の罵倒芸」というものもありますが、それが「芸」であって、単なる罵倒に堕して読者が引かないためには、実は高度なセンスが要求されるでしょう。

辛口の罵倒芸というものであろうかとも思いますが、私から見るとちょっと過ぎた面があるように感じたので、暴走しましたが、アルファブロガー相手なら許容範囲だとかblog界の文法的な事は良く見えてないだけの事かもしれないので、その節はご容赦して頂ければと。

*1:※ちなみに、この通りすがり氏と私は別人です